道の駅つちゆロードパーク、野地温泉ホテル、つたや旅館跡地の三箇所に作品をインストールした松下徹。ストリートのグラフィティ(落書き)をアートとして扱うためにその文化を調査し、自らもイベントを立ち上げています。「ストリート」は道のことですが、公共の場や囲われた場所ではない所という意味を含んでいます。国立公園や観光地にストリートはあるのでしょうか。どのような活動をしているのかを含めてお話を伺いしました。
松下徹|Tohru Matsushita
1984年神奈川県生まれ。2010年東京藝術大学先端藝術専攻修了 ストリートアート等、ローブローアートの研究に基づいた絵画作品や壁画作品を制作している。 また近年はSIDE CORE等、ストリートアートを検証する展覧会の企画を行っている。 主な展覧会に、「SIDE CORE-公共圏の表現-」(東京国際フォーラム・渋谷西武、東京、2014年) 「SIDE CORE-身体・媒体・グラフィティ-」(寺田倉庫 TERRATORIA、東京、2013) 「ONE MILLION YEARS」(Red Elation Gallery、香港、2012)
自分たちの生活する場所に基づいたアクションが必要と考えています
大学では先端芸術表現科でしたが、そこではどのような表現方法を学んだのですか?
油絵学科は絵画を描く、彫刻科は立体物を制作する等、他の学科に比べてメディアのスタート地点の無い場所だったので、自分がどんな表現媒体を選んで作品を制作するか、一から考える必要のある場所でした。その結果絵画を選びましたが、壁画から車のカスタムペイントまで、広義に絵を描くということに向き合えたのは学科の教育の影響であると考えています。
スプレーで壁に絵を描くグラフィティの手法でも制作をしていますが、その制作方法に至った経緯を教えて下さい。
僕はグラフィティライターではありませんが、アメリカの高校に通っていた時グラフィティに触れていたので、スプレーで壁画を描くということは僕にとっての表現の始まりであり、今もその延長線上で作品を制作をしています。今ではスプレーで壁画を描く実践だけではなく、グラフィティやストリートアート、それらの文化に接続される美術や表現の歴史を調査し、作品制作に反映させています。
生まれた町や現在住んでいる土地は、松下さんにどのような影響を与えましたか?
(生まれた町も、現在住んでいる町も)両方とも郊外都市です。日本のアーティスト人口は郊外に一番多いのではないかと考えています。しかし対照的に美術館やギャラリー、もしくはアートフェスティバルの多くは、都市か地方で開催されています。そういった状況の中でアーティスト達は常に移動しながら、自分達の場所以上に他の場所について考えることを迫られています。これに関しては最近特に疑問を感じており、郊外、つまり自分たちの生活する場所に基づいたアクションが必要と考えています。
洞窟の中で絵を描いているようでした
作品「WRECKAGE」を、つたや旅館の跡地に展示しようと思った経緯を教えて下さい。
取り壊された旅館の基礎のコンクリートの空間は、まるで突如町の風景にできた穴、もしくは洞窟のような空間で興味を引きました。そういう場所に壁画を描くことで、その場所を意識化させ、人を立ち入らせてみたいと思ったです。昨年度、景観法の関係で外観に描かれた壁画が消されたというエピソードもあり、室内とも室外ともつかないこの場所に描かれた壁画が、町からどのような判断を下されるかとても楽しみにしています。
制作中に印象に残ったエピソードがあれば教えてください。
作品制作中にずっと壁面や天井から水が流れつづけており、洞窟の中で絵を描いているようでした。落ちてくる水滴や、水の流れを避けながら絵を描いていたので、空間を全身で認識しながら作業をしなければならず、非常にハードで、とても心地よく疲れました。
観光地におけるストリートについてお考えがあれば教えて下さい。
普通日本の建築は壁の面積を極力少なくして、窓を多く配置するかたちで設計されます。しかし建築物同士の接地面には窓を作らないので、隠れた部分にフラットな壁が作られるということです。そこで一つ建築物が壊されると、隣接する建築物のフラットな壁が露になるのです。そういう壁を狙って壁画やグラフィティは描かれます。今回の土湯においても、僕の作品はそういう状況にあやかって出現しました。
ありがとうございました。 interviewr:yumisong.