原郷のこけし群 西田記念館

「原郷のこけし群 西田記念館」は、みちのくとこけしを愛した故西田峯吉氏を記念する伝統こけしの展示館です。「原郷」とは、西田氏のこけしに対する思いを表現した言葉で、心に郷愁を呼びおこすようなこけしを「原郷のこけし」と呼んでいます。

 個体差を持ちながらも匿名性を帯びた伝統こけしを、原郷=集合的存在の場として提示するこの施設で、3人の現代美術のアーティストが、何が心に郷愁を呼び起こすのか、故郷や原郷とは何かを考えていきます。

 ナタリア・パパエヴァは、身体性を儀礼的に再起させることで個人と集団を往復します。

 アリサ・ベルゲルは、個人的な住居という室内空間を、VRによって再構築することで国という領域を構造で越えようと試みます。

 飯山由貴は、家族という制度や「群れ」の構築が、いかに儚い認識の上にあるのかを家族とともに探ってゆきます。

 西田記念館での展示は、集合としての文化に、個・身体・制度という異なるレイヤーからの視座で接続する試みでもあります。

開館情報

開館時間 AM 10:00~PM 5:00(最終ご入館PM4:30)
休館日月曜日(祝日の場合は翌日) 12月29日~1月3日
料金芸術祭チケットをお持ちの方は、入場無料
高校生以上 300円(団体20名以上250円)
中学生以下・障がい者(付添1名まで) 無料
住所福島市荒井字横塚3-183(アンナガーデン)


ナタリア・パパエヴァ Natalia Papaeva

ナタリアの出身国のブリヤート共和国は、山岳地帯にある伝統的な牧畜を行う民族で、かつてはモンゴル帝国に属していましたが、現在はロシア連邦の共和国です。

《What Will This Circle Bring This Time?》

パフォーマンスを撮影した映像作品20分 , 2024年
福島でのインスタレーションの再制作 , 2026年

2024年にアジアンビエンナーレのオープニングで行われた「この輪は何をもたらすのだろうか?」という意味のパフォーマンスは、ナタリアの出身国ブリヤート共和国の儀礼「goroo(ゴロー)」──寺院やストゥーパの周囲を巡る円環的な歩行──に着想を得ています。

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 ゴローにおいて、円を描いて歩く行為は、心を静め、精神を整え、身体と意識を結び直すための実践です。太陽の運行に従って歩き、通常は奇数回(1回、3回、5回、7回、あるいは年齢に1を加えた回数)周ります。
 ナタリアはこの儀礼的な身体行為を、ブリヤートに伝わる「女性はまず音によって知られ、次に姿が見える」ということわざと重ね合わせています。かつてブリヤートの女性たちは、遠くからでも存在が伝わるように、約4キログラムもの金や銀の装身具を身に着けていました。
 今回は、福島の土湯温泉町を中心とした様々な場所で収集された小さな物体が、歩行とともに音を生み出す装置として用いられます。歩くという行為は、手放すことではなく蓄積すること、つまり静寂になる前に音を蓄積することへと変化します。音は歩みとともに重なり合い、やがて静寂へと至るでしょう。

Minii Ger

映像作品(ビデオ・パフォーマンス), 2024年

「私の家」を意味するこのパフォーマンスは、移動とともに変化せざるを得ない「家」のあり方を問いかけます。異国に住んでいても、人々は記憶や身体そして声を通して「私の家」を内側に持っています。その見えにくい「内なる故郷」を、集まりと歌のなかで可視化します。

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ナタリアは、オランダに暮らすブリヤート出身の人々へインタビューをして歌を作曲しました。その歌は彼ら自身の声で歌っています。
 作品の中で行われるのは、ブリヤート=モンゴルの新年のお祭り「Сагаалган(サガールガン)」に関連する挨拶や集まりの実践です。遠く離れた土地で、これらの儀礼や習慣はしばしば断片化され、失われつつあります。本作は、それらを呼び起こし、共有された時間と空間の中で再構成しています。

 歌は必ずしも専門的な技術を必要ではありません。むしろ、それぞれの声の違いや訛り、言語の揺らぎがそのまま現れることで、個々の経験と共同体の記憶が重なり合います。ブリヤート語という、日常から離れつつある言語が、この場で再び響きあいます。

Yokhor

映像作品(ビデオ・パフォーマンス), 2018年

ナタリアは言います「私は母国語を忘れてしまった」と。それだけではありません。多くのブリヤート出身のものたちはその言葉を失いつつあります。世界には6000の言語があり、そのうち43%が絶滅の危機です。ナタリアは、伝統的な歌の2つのフレーズを歌っています。彼女が覚えているのは、その2つのフレーズだけだったのです。しかし、ナタリアは「Yokhor(ヨホール)」を制作したことで、自分の言語を取り戻し、母語で多くの作品を制作するようになりました。「Yokhor(ヨホール)」とは、主にブリヤートの伝統的な踊りや音楽の形式を指します。

アリサ・ベルゲル Alisa Berger

高麗人の母とユダヤ人の父を持つアリサ自身も移動の多い人生ですが、アリサは友人のマルコを題材に「RAPTURE(ラプチャー)」という映像作品を作っています。
「RAPTURE(ラプチャー)」とは、精神が別の場所へと移行すること、あるいは現実や恐怖からの逃避を意味する概念です。

このVR映像のシリーズは、マルコと母が住んでいたドンバスのアパートと、マルコが対峙する様子を描いたシリーズです。

 戦争の形は変化しても、「失われるもの」(家、安全、アイデンティティ)と、それを失う主体との関係は変わりません。

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《RAPTURE》は《RAPTURE I – VISIT》18分の映像作品と、《RAPTURE II – PORTAL》19分のVR作品の二つから構成されています。

映像に映る主人公、20代前半のマルコは、ウクライナ出身のヴォーグダンサーです。ヴォーグダンスとはLGBTQ+コミュニティーから発祥したファッショナブルなダンスの総称です。

 マルコが生まれたウクライナのドンパス地域は、10年にわたりロシアとの戦争が続いています。マルコは徴兵される前の、少年の面影の残る10代の頃に、母をドンパスに残したまま亡命をします。ロシアによる全面侵攻から、マルコはウクライナにもドンバス(現在はロシア側)にも戻ることができません。帰れない間に母は亡くなり、葬儀にも参列できませんでした。母が遺したアパートを相続しようとロシアへ入国すれば、即座に徴兵され、自国ウクライナと戦うことを強いられてしまうからです。

 戦争に巻き込まれた移動は、ある意味で「RAPTURE(ラプチャー)」の一形態であり、故郷や自己からの強制的な切り離しとも言えます。VR技術によるバーチャルな空間でその場所を再訪し、癒しや回復を試みることは、この概念をさらに捻じ曲げます。

 それは回復と喪失の境界を曖昧にし、テクノロジーによる「帰還」の可能性を提示しながらも、同時に喪失との対峙をより深めるものでもあるのです。

《RAPTURE I – VISIT》

映像作品 , 18:22 min, 4K, stereo, color , 2024年

マルコは友人のアリサ・ベルゲルが用意した奇妙なVR実験に参加します。VR内で、マルコは占領地域にある彼と母が住んでいたアパートを訪れることになります。

それは、奪われたアパートや母国をデジタル技術で「再奪還」する試みです。マルコが国を去った2018年以来、6年ぶりに初めてその場所を、VR空間を通して訪れます。

観客の私たちはVRゴーグルをつけた、VR実験に参加するマルコをただ見守ります。スクリーン上で展開されるこの奇妙なVR実験――到達不可能な空間と向き合うマルコの姿――は、戦争によって人々が歴史的にどのように移動を強いられ、根を引き剥がされてきたかを想起させます。《RAPTURE I – VISIT》のVISITとは、「訪れ」や「訪問」を意味します。

 

《RAPTURE II – PORTAL》

映像作品 , VR film, 19:22 min, 4K, ambisonics, color, 2025年

第二部《RAPTURE II – PORTAL》では、鑑賞者自身がこのVR実験の参加者となります。マルコがVR空間で案内役を務めます。ここでは鑑賞者と被写体の役割が入れ替わるかのようです。アリサ・ベルゲルは、物理的に失われた「家」という概念とダンサーの「身体」を、「永遠かつ無限の住処」として捉えています。

 VR作品への参加は、催眠セッションの形式で構成されます。鑑賞者は、占領された地域の写真をもとに再構築されたマルコのアパートと、インターネット上から集められたウクライナ各地の破壊された都市の写真や風景を融合した架空の空間へと導かれます。ヴォーグダンスの動きは、身体が持つ生の強さを見せながらも、戦争というテクノロジーの前での脆さが同時に現れます。《RAPTURE II – PORTAL》のPORTALとは、「入り口」や総合的な門のような役割りを意味します。

写真:宮澤響

飯山由貴 IIYAMA yuki

飯山由貴の二つの映像作品は、2014年に開催されたアラフド アート アニュアルの際に、福島市民家園で展示されました。飯山のアーティストとしての活動の初期作品であるこの二つの映像を、12年の時を経てもう一度ここ東北地方の「原郷」を謳うこけしの博物館で紹介します。福島の震災後と現在、私たちの家族を含めた他者との関係と制度を再考する機会になれば幸いです。

《あなたの本当の家を探しにいく》

映像作品, single channel video, 33:41min, 2013年 (愛知県美術館所蔵)

飯山由貴の妹が持つ幻聴や幻覚をなぞることで、作品は生まれていきました。精神障害のある妹には、幻覚や幻聴があります。ある日、妹は自宅にいながらも「本当の家」に帰りたいと言い出します。飯山は否定することもなく、無視することもなく、妹の話す「本当の家」の話を聞き、時々質問をします。そしてすっかり暗くなってしまった夜の町に、姉妹で「本当の家」を探しに出かけます。姉妹は夜の街を徘徊しながら、家族だからこそできる他愛のない話をします。一方で、この映像作品のタイトルは、姉妹でありながらも、家族でありながらも、「私たちの」ではなく、「あなたの」本当の家となっています。物理的な家と、想像の家、そして制度としての家。家は様々なレイヤーを持っています。普段は一つの安定した基盤の上にあると信じている、家族や家が、揺らぎと信頼の上に建っていることを想像させる作品です。

《海の観音さまに会いにいく》

映像作品, single channel video, 21:17min, 2014年 (愛知県美術館所蔵)

飯山は家族揃って海に行きます。しかし家族旅行とは少し様子が違います。この映像では、妹がみた幻覚の内容を、お父さんとお母さんと姉妹の4人で海に行きながら再現しています。なぜだか家族は、手作りと思われるムーミンの着ぐるみを着ることになります。着ぐるみをきて楽しそうな感じもしますが、現実世界では着ぐるみは少し動きづらく、うきうきした感じではありませんし、かと言って辛いという感じもありません。また、妹が描いた台本を元にした演劇のようにも見えますが、その台本は曖昧で、演者である家族は理解しながら演じているという風には見えません。その幻覚の理由、それ自体に意味はないかも知れませんが、幻覚を見るということは妹にとっては必然です。家族は行為の意味は追わず、妹が見ているものを一緒にみようという試みだけをしています。