Arafudo Art Annual 2014!

Festival of Art, Tsuchiyu Onsen, FUKUSHIMA

土湯CAMP:7月編 #1「泥人形をつくりながら話し合う」

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土湯CAMP #1「泥人形をつくりながら話し合う」が開催に先立って、2013年7月13日(土)~15日(月・祝)の2泊3日で開催されました!アラフドアートアニュアルの会場予定地や旅館の跡地などを移動しながら、話し合いは進みました。

CAMPは同時代のアートを考えることを目的とし、アーティストやキュレーター、ディレクター、批評家、研究者、学生などと関わりながら、トークイベントや展覧会、パーティーなどを主に東京で開催している毎回編成を変える団体です。

今回は、井上文雄(CAMP)、粟田大輔(美術批評)、河口遥(アーティスト)、小林耕平(アーティスト)、水田紗弥子(キュレーター)の5名のメンバーと、アラフドアートアニュアル参加作家の吉田和貴、ディレクターのユミソンの7名で東京から土湯温泉町まで車にて移動。タイムテーブルやプロフィール等の詳細はCAMPのサイトで。

東京の新宿で集合し車で土湯まで移動の間、粟田大輔の『人間のようで人間ではない存在について』/河口遥の『ペットを連れてきて、交換する』が行われ、土湯温泉町に到着後、町の散策とレジデンスでの鍋での食事をしました。

食事後は雨の中、明かりを灯さず、お互いの顔が見えない状態で、高台の民家にて小林耕平によるグリム童話『りこうなハンス』の朗読。理解することについて参加者たちで話し合いました。設定されたルールを守るハンスとルールに沿わない現実の話と読むのか、ハンスに対する人々の反応の繰り返しの意味を読み解くのか、あるいはハンスの”利口さ”の可能性についての言及など、さまざまな解釈がされ、『ハンス』はこの後の旅のキーワードの一つになりました。

また夜半過ぎには、水田紗弥子による『儀式を考える』。井上のペットである100円ショップで購入したLEDライトの微かな光を頼りに、夢や現実ではないことについて語り、廃旅館の中で手をつないでグルグルと周ったり、様々な形式を試してみました。

翌朝7時から屋外での朝食。アラフドアートアニュアル参加作家の葛谷允宏が作品の試作として焼いた、昔土湯で食べられていたトウモロコシ料理を再現したものなどが朝食に並びました。町の散策後、伝承館にて水田紗弥子による『世界のどこかにある建物』。ある景色が移された写真を元に、その場所の可能性を話し合うというもの。

予定していた熊野神社は雨天の為、カフェに移動し、小林耕平による『10万年後へ』。フィンランドによる原発ゴミ最終処分場のオンカロを軸に、10万年後まで残す記憶、残し方、文化や言語、思想のあり方、想像し得ないものについての責任について話し合いました。オンカロについての映画を参考としました。

こけし工人の阿部国敏さんの工房で作業風景を見学させてもらった後、旅館跡地で夕食のBBQ。その後、元スナックすずらんにて、粟田大輔の『くつろぎながら、約束と過ちについて話す』。ゆったりとくつろぎながら神との約束や過ちを一人ずつ告白し、約束や過ちの織りなす現象(効力)とその彼方の在り処(場所)について話し合う予定でしたが、『神との約束』ではなく、それぞれの取り返しの付かないことについての記憶の話や、個人や大衆が持つ約束の枠組みの違いについての話などをしました。

夜半すぎには、河口遥『明日のために、ダンスをする』。土湯温泉町の商店街から橋を渡った一周を踊りながら、まわりました。現代美術作家・眞島竜男が参議院選挙まで毎日2分間踊るパフォーマンス活動『今日の踊り』にインスパイアされた河口が考えた『土湯ダンス』をベースに、参加者それぞれが土湯にある何かをテーマにして踊りました。

翌朝は、粟田大輔『なんであれかまわない存在について』。谷川俊太郎『なんでもないものの尊厳』を参加者全員が朗読し、それぞれの感想を述べ合いました。言葉にすることが、構造上、なんでもなさの定義不可能さの輪郭を描くだけに過ぎないのを踏まえた上で話し合うことから、モデル(見本)についての話題に発展。

それぞれが持ち寄った泥から作った泥人形を持って、河口遥『泥人形に話しかける』。山に囲まれた吊り橋に泥人形を設置して、参加者一人づつが橋の真ん中で色々な泥人形に話しかけました。最後は泥人形を河に入れると、あっというまに溶けて無くなりました。

その後は、東京に向かう車内で小林耕平『世界の裏声』/水田紗弥子『夢をみた』が行われました。
次のCAMPは9月6日~8日に開催予定です。